トニーの滅学

滅ぼすことによって創造と進歩を促す。それが滅学。

ソクラテスの弁明から学ぶネット炎上との向き合い方。

ソクラテスの弁明と現代のネット炎上は、表面的には時代を超えた異なる現象のように思えます。

しかし、根底にある人間心理と社会のダイナミクスを考えると共通点が見えてくるんです。

f:id:daiyu1994:20240408001538j:image

ソクラテスが直面したのは、真実を求める哲学的探求に対する無理解と偏見、そしてそれに基づく公の裁判でした。現代のネット炎上も、誤解や偏見に基づいた情報が瞬時に広がり、公衆の場で個人や集団を「裁く」という点で同じだと思っています。

そして両者を照らし合わせることで、人間の本質と、社会が個人にどのように影響を与えうるかについて深く考える機会になるかもしれない。

ソクラテスの時代から現代へ:変わる表現の場、変わらない人間心理

ソクラテスが生きていた古代ギリシャアテナイでは、アゴラ(公共の広場)での対話が真実を求める場でした。

ソクラテスは、自らの哲学を説くことで、多くの若者や市民の関心を良くも悪くも引き寄せました。彼の方法は、常に質問を通じて相手に自己の無知を認識させ、真実へと導くことにありました。

しかしご存じの方もいるように、これが彼の周囲の誤解や反発を生み、最終的には死刑に至る裁判へとつながったわけですね。

一方、現代のネット炎上は、ソーシャルメディアやオンラインコミュニティがそのアゴラとなっています。誤解や偏見、誤情報は瞬時に広まり、個人や団体は容易に公衆の審判を受けることになります。その速度と範囲は古代とは比べ物にならないものの、根底にある人間の本性、すなわち無知から生じる恐怖や攻撃性は変わりません。

対話が欠落した現代

ソクラテスは、対話を通じて理解と真実の追求を重んじました。彼にとって、対話は人々が互いの見解を理解し、共通の真実に近づく手段でした。現代のネット炎上の背景にあるのは、しばしば対話の欠如です。片方の意見だけが拡散され、他方の意見は無視されるか、歪められることが多々あります。

ソクラテスの弁明から学べること

ソクラテスの弁明から学べる重要な教訓は、真実とは何か、そしてそれをどのように追求すべきかという問いへの深い洞察です。

現代の我々が直面するネット炎上や偏見に対処するためには、ソクラテスのようにとまではいかないかもしれませんが、あらゆる情報に対する懐疑的態度がかなり重要になってくると思います。情報まみれの社会だからこそ。

というか、最も確実なのはそもそもネット炎上に対して関心を寄せないことでしょうね。

ネット炎上はほとんどの人にとってどうでもいい情報ですから。

 

古代ギリシャと現代で決定的に違うのは、情報量です。

今はスマホさえ開けば、無数の情報にアクセスできます。これがまずい。

人は情報過多に陥ると、正常な判断ができなくなります。

賢人であるソクラテスであっても例外ではありません。

 

つまり、情報と向き合う前にまずは余計な情報を減らして、吟味するべき情報だけに絞り込んでいく必要があるということです。そして言うまでもなくネット炎上は放置でいい。

僕たちは、このポスト真実の社会の中で個人がいかに行動すべきなのか、あるいは真実をどのようにして追求し続けるべきなのかについて、そろそろ向き合うべきなのかもしれない。